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| ■歴史 |
チューリップのルーツはトルコ
チューリップの故郷は地中海沿岸から中国の西南部にかけた一帯です。原種はふだん見るチューリップとはほど遠く地味で小ぶりなものです。はじめてチューリップを庭園に植え、観賞用に改良して楽しんだのはトルコ人でした。トルコ人はほかのどんな花よりチューリップを愛したようです。トルコから出土された染付タイルのデザインや陶器の中には、多くのチューリップが描かれています。
16世紀のころ、チューリップの美しさに感動した神聖ローマ帝国のトルコ大使がヨーロッパへ球根を持ち帰り、その後、17世紀のオランダで熱狂的なチューリップブームが起こり、一気に世界へ広がりました。
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チューリップの語源はターバン
最初にチューリップをヨーロッパに紹介した神聖ローマ帝国のトルコ大使ですが、チューリップをはじめて見た時に、「何の花か」とトルコ人に尋ねたそうです。トルコ人は、自分の頭のターバンを指しながら「チュリパ(ターバン)のような形だ」と答えました。大使はそれを名前と思い込んでしまい、それがチューリップの語源になったといわれています。 |
チューリップ狂時代
チューリップは他の植物に比べ交配がしやすく、しかも花の模様が代を重ねるごとに変化するため、一種の賭のような面白さがありました。とくに模様の入った珍しいチューリップは高値で取引されるようになり、1934年頃からは「チューリップ狂時代」と呼ばれるような異常な状態となりました。1個のチューリップの球根は、花嫁の持参金代わりになったばかりか、ビール工場や広大な屋敷と交換する者まで現れる始末です。人々はチューリップでのお金儲けに夢中になり、失敗して破産する者も出ました。あまりの過熱ぶりにオランダ政府は1637年にチューリップの取引を規制し、ようやくこの事態が収まりました。この時人々が夢中になったのは斑(ふ)の模様の入ったチューリップですが、のちにはこれがウィスルス病にかかったものであったことがわかります。 |
はじめは薬草として渡来したチューリップ
チューリップが日本にはじめてやってきたのは、文久3年(1863年)といわれています。当時は、薬草の鬱金(うこん)の仲間と勘違いされて「鬱金香(うこんこう)」と名付けられました。まだ数も少なく、一部の上流階級や外国人によって鑑賞される程度でした。
大正時代から日本でも、本格的な栽培が始まります。労働者の1日の賃金が10銭〜20銭の時代に、チューリップの切花は1本5銭という非常に高価な値で売れました。そこで、冬場は出稼ぎに行くしかない豪雪地帯の新潟や富山で、米の裏作として注目され、熱心に取り組まれました。 |